なにかの記録

忘れたくないことなど

ねこがきた

タイトルの通り、家にねこがきた。

きたというか、連れて帰ってきた。

 

もともと犬が飼いたかった夫と、どうしても毎日2回の散歩の遂行に自信を持てない出不精の私とがわちゃくちゃと話し合った結果、なぜかねこを飼うことになった。

私は保護ねこを勧めたけれど、夫が猫種にこだわったのでブリーダーさんからお迎えをすることになった。

生まれてから7か月間、家族とブリーダーさんと一緒に穏やかに暮らしていたねこちゃんを、連れて帰ってきた。

 

家にきて3日目までのねこちゃんはそれはもう痛ましくて、家族を探すようににゃーにゃー鳴き続け、心配で様子を見に行くと精一杯のこわい顔で威嚇をする。ごはんにも少ししか手をつけない。

ブリーダーさんのお宅に見学に行ったときの、おだやかで落ち着きはらった様子とは正反対だった。

 

このことについてはかねてから不安に思っていた。ブリーダーさんの元で十分幸せな生活をしているねこちゃんを連れて帰ることは、事情を知るすべのないこの子にとってどんなふうにうつるのだろう?

そんなことを私たちは、お金を払ってまでするべきなのだろうか。

見学に行く当日までずっと、私はそのことを考えていたが、ざっくばらんでおおらかな性格の夫は、その子が生まれてきたことも人間のエゴでしかないんだから同じことだよと、あまり気にしていない様子だった。

私は結局考えがまとまらないまま、お迎えに至った。

(後から知ったことだけど、猫は1歳を迎えるまでに親離れをし、血縁者ともあまり縁を感じなくなるらしい。それを思うと、自分が思っているほど酷い行いではなかったのかもしれないと、自分をなだめることができた。)

 

その後、家にきて1週間と少し経った現在のねこちゃんは、べちゃべちゃの甘えん坊ねこになった。

ごはんもしっかり食べるし、朝から家のはじからはじまで走り回っている。

特に夫にべらぼうに懐いており、夫が家にいる時間はほとんどずっとひっついて甘えている。

私にも甘えてくれることはあるが、夫に対してのものと比べるとずいぶんとあっさりとしている。自分の疑り深い性格と、夫以外の人間と金輪際かかわりたくないという思いが見透かされているのかもしれないと感じることがある。結局ねことの関係も、人間関係なのだ。ねこのまっすぐな視線を受けると、毎度後ろめたい思いになる。

ただ、それでもねこちゃんがきてからの我が家は、格段に明るくなったと感じる。

仕事で疲れた夫と、病気で体が動かせない私とのコンボはたいてい会話を後ろ向きにさせていた。妻としてもっと明るくやらないと、という思いがかえって私の病気を深刻にしていた。

その点ねこちゃんは人間の倫理や価値判断から完全に外れた生活をしており、そのような存在が同じ家で暮らしているということが私たちの視野を広げさせてくれた。

あと、単純にかわいい。造形がいい。お顔やしなやかな体つきには神々しささえ感じさせられて、天気のいい日に窓辺でたたずんでいる様子はどう見ても天使だ。

 

そんなわけでねこと暮らしている。

もう1週間、まだ1週間という思いを持って、せっかくなので記録をしてみた。

これから15年前後一緒にいることになるんかあ。その頃、このブログを読み返すことのできる経済状況にいることを願う。(ねこ関連の出費すごくね?)